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  • 執筆者の写真櫻井 俊弘

20世紀最高の自動車設計者フェルデナンド・ポルシェに想う

数ある外車の中でも「フォルクスワーゲン」って存在感が有りますよね。(花火がエンブレムに映るCMも好きです)


今でこそ色々な車種がありますが私の好みは世界中で「ビートル(かぶと虫)」 の愛称で呼ばれるフォルクスワーゲン・タイプ1です。フォルクスワーゲン・タイプ1は、自動車業界にさまざまなインパクトを与えてきました。


開発は大戦中。依頼も命名もアドルフ・ヒトラーというのも有名な話です。

1937年から1997年まで60年フルモデルチェンジなし。この商品価値って凄すぎません?


誰が作ったかご存知ですか?

ポルシェ社(前身)の創始者フェルデナンド・ポルシェ(以下ポルシェ博士)です。

ポルシェ博士は兼ねてから内閣府に大衆車開発の必要性を強く訴え続けていました。

が全て却下。


ヒトラーが政権を確立させた時、力を入れた政策が大衆車の普及と高速移動の手段(アウトバーン)の建設でした。そこで大衆車ならポルシェ博士と言うわけらしいです。この二つは数少ないヒトラーの偉業でしょう。


話は外れますが、その後、ポルシェ博士はヒトラーに認められ、戦闘機のエンジンをはじめ戦車など、たくさんの設計・開発も依頼されます。その為、戦犯として息子と共に収容所に収監されています。ポルシェ356(ジェームスディーンが乗っていた車)を開発したのはその息子Ferry Porscheです。


話しは戻り、この秀逸な商品価値の車、もう一つ戦後の逸話があります。フォードの創始者ヘンリー・フォード2世が連合軍の依頼でフォルクスワーゲン工場に世界復興に必要なものがあるかを算定させられます。その結果を「車も工場にも参考価値なし」と算定報告しています。日本ではエンタクとかオート3輪の時代ですよ(^^)


そのため、資料も図面も人も持ち(?)出されず生産が続けられました。(ヘンリー2世偉い)

ちなみにV1・V2ロケット技術は関係者ごと国外に持ち出されて後の宇宙開発の礎になりました。


世界第1位のフォード社創始者の目は節穴ではありません。


車の完成度(水を使わずに砂漠でオーバーヒートしないエンジン)、その工場の生産力は驚嘆だったに違いありません。フォルクスワーゲン工場の技術が世に持ち出されてしまうと世界中に強力なライバルが拡散される脅威を感じたと私は考えます。

仏法に「不変真如の理」と「随縁真如の智」という言葉があります。

これは『一時も休む事なく変わり続けているのがこの世の摂理』を揶揄しているのですが、変わらないものもあるんですね。これほど秀逸な商品価値のあるものは、ホンダ・スーパーカブしか私は知りません。(こちらは2輪)


ポルシェと言うと911モデルに目が行きますがフォルクスワーゲン・タイプ1も設計開発はポルシェです。リアエンジン・リア駆動。通称RR。911モデルもワーゲンタイプ1、両車共に同じRRなのは偶然ではありません。(そこはまた次回に!)


ダイムラー・ベンツを退職し、ナチスをスポンサーに夢を実現したわけですが、その代償は少なくなかったようです。ポルシェ社は大戦中の色々で戦後、国内外で叩かれた時代もあった様です。

しかし数々の功績(ハイブリッドやインポートモーターの考案)でフェルデナンド・ポルシェは20世紀最高自動車設計者に選ばれています。(本田さん残念!)


最後に、フェルデナンド・ポルシェの残した名言を2つ。

「技術的問題を解決するためには美的観点からも納得のいくものでなければならない」

「ユーザーの立場で考えた場合、多少でも不利となりうる要素は決して採用すべきでない」

深いですねぇ〜。生かされるかな〜。

それではまた、現場作業員の櫻井でした。

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